黒島の行きのフェリーは竹富島行きほど数が多くありません。
私達は黒島に宿を予約していないので、夕方の便で石垣島に帰らなければなりません。
満喫するには一番早い便と決めていました。
無事にフェリーに乗り込み、いざ黒島へっ!
着いてみてすごいっ!
これが港かっ!!!と思うほど、人もいなけりゃ建物もない。
港ですでに自転車レンタルがあったので、ここでゲット。
自転車にはチャイルドシート付きのものがあり、シュノーケリングの荷物がある私達に1台勧めてきました。 ミーアのバックパックが前かごに入らなかったからね。
最初は嫌がっていたミーアもこの便利さには感動したようで、次回から絶対これを借りると言っていました。
金額は他の自転車と変わらないので、お勧めです。
ここでも町なるものはありますが、本当微々たるもの。
ただ黒島港線は日本の道100選選ばれている道。
沖縄を題材にしたドラマにいかにも使われそうな味のある素敵な道でした。
今日は天気がとても良いので、自転車日和です。
もらった地図を頼りにとにかく島を走る。走る。
どんなに小さな島でも東西南北には守り神社があるもので、ここは静かでとても味がありました。
枯れ葉が沢山落ちていたので、置いてあったほうきでササッとさせてもらいました。
拝見させてもらったちょっとした、お礼・・・ね。
黒島の特徴は、町全体牛臭いというか、調べてみたら人口200人に対し牛数千頭がいるようでそれを感じさせるように、あらゆる場所で黒牛たちに会いました。
シュノーケリングを行う場所を見つけるべくあらゆる浜を行ってみることに。
私達が気に入ったのは西の浜
ここの美しさは絶品で、一気にこの島を気に入る要因になりました。
波も静かだったので本当はここで潜りたかったのですが、遊泳禁止区域に指定されており、遊泳は仲本海岸で依頼する旨のボード(だったような)を発見し、なくなく諦めました。
ここでもミーアはサンゴと石で芸術作品を作成
仲本海岸に着くとシュノーケリングに関する注意事項が書いてありました。
それでは必ずライフジャケットを着用すること。
結構、素直な私達はそれを守ろうとしましたが、海岸側の売店には誰もおらず。
ただ中には2つのライフジャケットがありました。
鍵が開いていたので、中に入ることはできるのですが、さすがにそれは無理と思い、確か港側でライフジャケットレンタルの看板を見たと記憶を頼りに、そこに向かうことへ。
そこにはおばぁちゃんが一人座っていて、ライフジェケットのことを聞いてみると海中公園研究所で無料で貸してくれるとのこと。
お礼にチョコをあげたらすごく喜んでくれました。
なんだかこっちも嬉しさをもらいました。
海中公園研究所はすでに自転車探検で通り知っていました。
亀さんを研究していて、サメさんが外の池みたいな場所を泳いでいたのです。
ちなみにここの側におしゃれヤギさんがいて、チェッカーズ時代の若かりしフミヤさんの髪型をしておりました。
やっぱりヤギさんもナウサ大事ねっ。
研究所に着いてみると実は無料ではなく、研究所の展示を300円支払って見てくれた人に貸しているということ。
当然借りるでしょう。
そうするとしっかりと緊急連絡先など記載するように言われたので、安全管理も一緒に伴ってくるという安心も得ることが出来ました。
シュノーケリング場所について訪ねてみるとやはり
「他の浜だと緊急事態が起きた際に、助けに行くのが難しくなるので、仲本海岸での遊泳をお願いしております。」
と、言われ、なんだ、そうだったのね。と仲本海岸を利用することに納得しました。
展示は亀に関すること。 赤
ちゃん亀さんもいて、これはこれで楽しめました。
仲本海岸に着き、いざシュノーケリングです。
ここの海岸は基本、遠浅ですが場所によって突然深くなる場所があります。
だからライフジャケットが大切なのね。
入ってみてよくわかりました。
また水流も激しいようで泳いでいると水が突然冷たくなったり、暖かくなったり変化がありました。
魚達はわりあい深い場所を泳いでいることが多く、サンゴのそばに多くの魚達を見ることが出来ました。
寒くなったので、上がることに。
Aちゃんとは一度、海岸で会いましたがどうやら他の場所を楽しんでいるようなので、私達はこれでシュノーケリングを終了することにしました。
ちなみにワンポイント。
私達は島に行く度、事前に石垣島フェリー乗り場で食料を調達しておりました。
あまりランチに予算をかけたくなかったからです。
竹富島では食堂が結構ありましたが、黒島では少ないようでさらにシーズンオフということもあり数人の人がランチについて地元の人に訪ねておりました。 念の為、軽い食料と水は持っていったほうが良いかもしれません。
シャワーを浴びて携帯を見てみると、姉からの連絡が・・・。
病院に行った様子かな?と思い、連絡してみると、再度、緊急で病院から来院依頼があったとのこと。
そこで今すぐ向かうと言われました。
医師からは私の旅行が終わるまでは大丈夫と言われていのたで、そうだと信じたい思いを持っておりましたが、本当はこんな展開も予想していたような、していなかったような、心は動揺しております。
動揺のなかでも旅を楽しみたいと思い、帰りのフェリーまでは気を揉んでいる様子を見せないようにしました。
フェリーの時間が近づき、行ってみるとAちゃんと遭遇。
なんと男性付き?
聞いているみると一緒に黒島を回っていたようです。
どうりでシュノーケリングやりにこなかったのね。
若い子たちのランデブーを勝手に楽しみ、心はちょっと浮かれ気味。
フェリーに乗り込むその時、再び姉から連絡。
「お母さん、亡くなったよ。」
様態が急変したようです。
「わかった。明日、東京に帰ります。看取ってくれてありがとうね。」
私は看取れなかったことを後悔してはいません。
逆に私達家族の変な繋がりを改めて実感したのです。
私達4人家族は干支が寅兎辰巳と並んでいて、誕生日は5,7,9,11月と2ヶ月おきに並んでおります。
更に私は父を看取りました。
その時、姉は子供卒業式当日で来ることが出来ませんでした。
そして今回は姉が看取る番。
ちゃんと交代での役目を与えられているのです。
そして母は3年という闘病期間を耐え、私達に心の準備の時間を与えてくれました。
可能な限り病院に行き、自分たちが出来ることをしっかりとやっていたので悔いはなかったのです。
ミーアに泣いていいよ。と言われたので、フェリーの中で静かに泣かせてもらいました。
フェリーを降りてホテルに戻って事情を説明すると翌日分のホテル代を全額返金してくれました。 沢山のわがままだったのに親身になって対応してくれたホテルに本当に感謝です。
そして奇遇にもここでAちゃんと再会。
どうやら彼女もここを予約していたようで・・・。
夕食を誘ったところ、黒島でのお兄さんとご一緒するとのことで・・・。
勝手なランデブー想像はやはり大きくなります。
すぐに部屋に戻り与那国島での民宿、与那国島から那覇への飛行機、那覇から東京への飛行機をキャンセルし、 明日の便にて那覇から東京行き飛行機をゲット。
最後の夜を楽しむためにおみやげを買い、予定が短くなったので居酒屋さんでちょっとリッチに過ごすことに。
翌日もAちゃんと道でばったりが何度もありました。
話を聞くと、同じ居酒屋さんにいたようで。
なんとも奇遇の奇遇にびっくりは止まりません。
帰りの石垣島では、なんと空港に飛行機一台という寂しい状況を目にしました。
こちらでは当たり前かもしれませんが、初めて見る景色にミーアと心の寂しさを重ねておりました。
そうして東京に無事、到着。
11月17日まで予定していた私達の旅行は11月13日をもって終了したのでした。
なんとも予定通りの飛行機に乗れたのは最初の一度だけ。
後の3回は変更。
ホテルは6泊の変更と4泊のキャンセル。
久米島、与那国島へは訪れることが出来なくなりました。
帰ってきてから様々な繋がりがわかり気づきを実感。
実は母は大の沖縄好きで姉を連れて、または父とよく行っておりました。
ただ久米島も与那国島も行っていないのです。
そして父と母が最後に旅した場所。
それが黒島でした。
久米島、与那国島に行けなかったこと、どうして黒島で連絡が入ったのが全てがつながった気がして、これで良かった気がしました。
これが最善の旅行の形だったのです。
私達は豊かな旅を豊かな心で過ごすことが出来ました。
帰ってきてから壮絶な忙しさ。
お葬式の準備、お葬式、その後すぐに池袋ショー。
そして四十九日。
後見人最後の仕事として、死亡までの最終財産目録を作成、提出。
今後のことを弁護士さんと話し合い、年明けて母と私の青色申告が追加作業。
ニュージーランドに向けてのお店の準備。
当然、お店での仕事、営業もあります。
言い訳ではありますが、そのためなかなかブログを更新することが出来ず、沖縄旅行記も今になってしまいました。
最後に・・・。
私達は生きています。
生きて様々なことを経験する時間を与えられています。
昔からずっと思っていること、ずっと実行していることをこれからも続けたいと思います。
私もいつかは死にます。
それはいつかはわかりません。
でもその死ぬときに人生の走馬灯を思い出し、常にこれで良かったと思えるよう日々を生きていきます。
これは19歳の時に自分に誓った約束です。
これからもこれを守り続けていきたいと思います。
今回も長い旅行記、ご覧いただきありがとうございました。
真実
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
---|---|---|---|---|---|---|
27
|
28
|
29
|
30
|
31
|
1
|
2
|
3
|
4
|
5
|
6
|
7
|
8
|
9
|
10
|
11
|
12
|
13
|
14
|
15
|
16
|
17
|
18
|
19
|
20
|
21
|
22
|
23
|
24
|
25
|
26
|
27
|
28
|
29
|
30
|
真実は「葛藤の解放と純粋な自己なる創造の現実化」をテーマに日々、生きている気ままな幸せ人です。 瞑想を通し、感じたこと、学んだこと日々の経験から感じたこと、学んだこと。 様々なことを様々な形で自分の変化と共に歩む真実なりの方法をご覧ください。
プロフィール