アクロコリント頂上での自らの選択は毎日瞑想する必要があったことを再び改めてよく理解できた瞬間でした。
そして私は何度も何度も頂上を見返り、そのたびに初めて見たようなときめきを忘れずに降りました。
頂上が見えなくなれば側面に広がる遺跡と草原を見ながら心の中でずっとナウシカ・レクイエムを流していたのです。
そしてお父さんに見えるところまで行くとなんとお父さんはずっとこっちを見ていてくれたのです。
私の姿を見つけた瞬間、立ち上がり、大きく手を振ってくれました。
私は山ではよく滑るので気をつけながら、目に見えないエネルギーの導きと、現実の愛すべき両親と夫に見守られながら一人で頂上を目指しました。
「ラン、ランララ、ランランラン」
心の中から音楽が聞こえたきたのです。
宮崎駿監督、風の谷のナウシカのナウシカ・レクイエム。
私はナウシカで見た映像から得た感情をここで感じ、アクロコリントこの地で自分は愛されて過ごしていたことを一気に記憶として呼び起こしたのでした。
アクロコリントは古代から19世紀まで利用されており、現在残っている城壁は1500年代(確か)ほどに作成されたもの。
掲示されている内容を見ても古代ギリシャからしてみれば近代に近いものばかりの説明だったので、なんだか自分との繋がりをあまり見出せない気がしてちょっと落胆していました。
しかし入口すぐから見えた景色は絶景そのもの
ミケーネからコリント(コリントス)までは車で1時間ほど。さほど遠くない場所にあります。
ただコリントは古代コリントと現コリントがちょっと離れた場所にあるので、高速を降り違えたらそれは大変なことになっていたのかもしれません。
ありがとう・・・ドライバーミーア、そしてナビ担当ミーアパパ。
当然、私が行きたいのは古代コリント。
ミケーネはギリシャの中でも異文化感を思いっきり発しています。
なんぜ古代ギリシャ以前の文明。
使用している石が灰色がかっています。
他の遺跡はマーブルや大理石ベースなので白色や薄茶が主流。
全体の色合いが異なると第一印象が大きく異なります。
アプロディーテでに改めて尊敬の念を思い出させてくれたレフカダを後にし、私達は再び長い移動に入り、ナフプリオを目指します。
ナフプリオへは本土から半島へと移動した逆の海側にあります。
私達は日程の都合上、ヒドラへはアテネより向かいましたがここから向かえばフェリーで30分ほどで行けます。
ナフプリオンへの道のりは遠い。
9時ごろレフカダを出て、確か着いたときは既に15時を回っていました。
ミーアの提案で予定に入れたレフカダ島・・・。
しかし、ここは私と大いに関係のある場所でした。
レフカダについた翌日、瞑想の際に
「ここはアプロディーテーが生まれた場所。」とのこと。
アプロディーテーに対し、私はちょっとした違和感的な感覚を覚えていました。
それはコリントスで解消されるものだとばかり思っていたのですが、全てを解消してくれたのはここレフカダ島でした。
しかーし、その後に待っていたホテル探しは大変でした。
今回はアパートメントスタイルに予約したのですがギリシャ旅行の中で一番の難関ホテル探しでした。
車で移動していてもらちがあかないので、車を降り、ミーアママが聞きに聞きまくってどうにか到着。
どうやらここは個人の人が経営しているレンタルハウスのようなもので1階のカフェで私達の到着を待っていてくれました。
アパートメント:Lefkas City Apartments
突然ですがギリシャの朝は遅いっ。
それは人々の行動が遅いのではなくて日の出が時間に対して日本より遅く感じました。
デルフィまでの車移動で移動時間を見直した私達は翌日、7時から移動を開始することにしました。
日本で7時といったら冬でももう夜が明けていますよね。
でもデルフィは。。。
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真実は「葛藤の解放と純粋な自己なる創造の現実化」をテーマに日々、生きている気ままな幸せ人です。 瞑想を通し、感じたこと、学んだこと日々の経験から感じたこと、学んだこと。 様々なことを様々な形で自分の変化と共に歩む真実なりの方法をご覧ください。
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