日本に帰ってきて約一ヶ月。
やっと落ち着いた時間を取れるようになりました。
桜満開でお散歩が楽しかったのですが、散っていく姿は
咲いていく姿とは違い、若干の哀愁を感じてしまいます。
ニュージーランドではずっと11月の沖縄旅行を記していたため、
同国での出来事について書くのが間に合いませんでした。
相変わらず、遅ればせながら旅行記を書かせてください。
今回はニュージーランドに長く留まりました。
約45日間。
将来のことも踏まえ、長い滞在を選んだのですが、
最初に南島に2週間いたこともり、メインエリアである北島には一ヵ月ほどの滞在でも、短く感じられました。
いつかは卒業を夢見るジェットスターに今回もお世話になりながら、成田を出発。
ゴールドコーストで乗り換えは通常通り。
ここで南島玄関口、クライストチャーチ行きに乗り換え。
いつもより1時間ほど長い乗継でした。
真夏のオーストラリアは当然暑さ全開なので、だいたいここで夏服に着替えます。
今回も通常運行。
ダンパンから短パンへ。
しかし冷房がきつかったからか?はたまた待合室で同じ椅子の列に座っていたご夫婦(というか、一方的に奥様の)口げんかを何度か見入ってしまったことが原因なのか、途方もないお土産をもらってしまったのでした。
飛行機は順調、さほど揺れることもなく無事、クライストチャーチへ。
レンタカーの送迎にてオフィスへ。
運転手さんより今のクライストチャーチはゴーストタウンで、お店がどんどん引き上げているとか。
地震後、すでにしばらく経っているし、空港は以前よりも綺麗になった雰囲気。
だから大げさな話だと私もミーアも受け止めていました。
既に夕方だったので、レンタカーを借りてすぐにゲストハウスへ。
ゲストハウス:The Pier Lodge Bed & Breakfast
値段を抑えたかったこともあり、都市部よりか少し離れた場所にあります。
そのお陰で少し歩くとすぐに海。
クライストチャーチってこんなに海に近いんだぁ、と初めて気づく。
引き潮中の美しい海はまるで地面が鏡のように全てのものを反映し、美しい景色を創り上げていました。
時差もあったせいか、私もミーアも深夜2時ごろ目が覚めてしまい、
彼は仕事、私はストレッチを始めました。
この時、なんだか鼻が詰まったり、垂れたり・・・・。
冬から夏に移動したから、ちょっとした体調の変化かな?なんて気にしないでいました。
軽く体を動かしたこともあり1時間半ほどで再度、鼻を詰まらせながらの眠りにつくことに。
翌朝起きて、気づく。
風邪を引いたこと・・・。
喉が痛く、つばを飲むと、奥に痛みを感じほど。
コレッ、ヤバイヤツダ・・・・。
日本では文句なしの元気はつらつ体調だっただけに、こりゃぁ、空港でもらっとしか思えない。
最初は飛行機内かな?とも思いましたが、寒気を感じたのはゴールドコースト空港でしばらくしてから。
はぁ、しょうがない。
すぐに薬局を見つけ、風邪用のど薬をゲット。
そして都市部へ。
南島では大まかな予定しか決まっていませんでした。
目的はミーアの生まれた土地クィーンズランドと、世界有数のトレッキングレール、ルートバーンに行くこと。
残りの時間をかけて、南島中央~下部を旅することだけを決めていました。
テントを持ってきていたので、どこでも寝れる準備は万全です。
レンタカーオフィスで南島の地図をゲットし、最初はゆっくり時間をかけて、クライストチャーチから南西に向かい
クィーンズタウンを目指そうとしましたが、西に抜ける道を見つけ、急遽予定を変更し、
まずはホキティカ西海岸へ、そこから南に下降して、クィーンズタウンに向かうことにしました。
クライストチャーチから北島に経つ便は朝が早いので今のうちにクライストチャーチ観光をすることへ。
現実に愕然。
レンタカー送迎おじさんの言葉は真実でした。
都市全てが工事中。
こんなことってありえる?
目を疑う光景です。
営業しているお店はほとんどプレハブか露店。
これが地震後、よくテレビに映し出されていたクライストチャーチ大聖堂。
有名な尖塔部分は完全に崩壊、4年たった今でも地震の面影は都市全体を埋め尽くしていました。
観光に訪れた人々は、都市の素晴らしさを見るより、生々しい現状を目の当たりにすることに。
ミーアもここまでの状態は想像していなかったようで、驚きを隠せずにいます。
自分達の都市が今尚、このような中、地震を元に亡くなった日本の学生様たちに向けて、
祈りを捧げてくれるその対応に感謝の気持ちとともに、この国の人の温かさに心打たれました。
しかしながら、ただ嘆くだけの都市ではありません。
様々な場所に今後の都市の展望と予想図が掲載されており、前進する姿を目にすることができました。
復興の意をこめて、既に持参済みではありましたが、ここでトレッキングに利用できそうな厚手のウール製靴下をミーアとともに購入しました。
(露店にもかかわらず、靴下そのもののすごく立派なものでした。)
店舗が並ぶ箇所は一部のみで後は全て工事中だったので、1時間そこらで観光終了。
私達はミーアお薦めコース、西へ向かう国道73号線へ。
ミーアいわく、ここからクィーンズランドまで様々な山の景色が楽しめるとか。
都市を抜けてしばらくするとそこには大自然ニュージーランドの姿が。
お天気には恵まれず、ずっと曇り模様でしたが壮大な景色は私をちっぽけな存在と認識させ、安心感を与えてくれました。
と、数時間の運転中、ミーアが道に倒れている人発見。
車はスルーしており、私は気づかず。
実は先日、日本で合気道に行く途中、改札口を下り、道に出ると先に倒れている人が。
パトカーが車道を走っていましたが、気づかなかったのかスルー。
心優しいミーアは「大丈夫ですか?」と尋ねる。
倒れていた人はすぐに起き上がり、「もうクタクタ」とミーアに言う。
ミーアはうなずく。
すると再度、「クタクタ」、ミーアは「うん。」とうなずく。
その後、倒れた人は競歩のような速さでその場を立ち去ったのでした。
後にミーアに聞いてみるとクタクタの意味がわからなくて、ただ頷いていたのだとか。
ってなことがあったので、また倒れている人を見つけるとはなんとも奇遇だと思い
ミーアは戻りたいというので、戻ることに。
倒れている人に声をかけると、日焼けで顔が真っ赤。
アメリカから来た男性で、ヒッチハイク中に疲れて寝ていたのだとか。
さすがっ、疲れていてもなかなか歩道の草っぱらで寝ようなどと私の想像にはありません。
行きたい方角を聞くと私達とは反対側。
とりあえずと何か補給物と思い、ミーアが食べていたアプリコットドライフルーツを渡すように、ミーアに差し出す。
するとミーア、「あっ、うん。」と言って、自分で食べる。
なんだよ、その感覚。
「食べちゃったの?彼にだよ。」
「あっ、ごめん。」
すぐさま違う食べ物を探す。
飛行機内で食べられるよう、日本でミーアが作ったブラウニー。
まだ二切れあったので、これを差し出すと、喜んで食べてくれました。
彼が無事に、素敵な旅を満喫してくれたことを祈りましょう。
夕方6時ごろ、目的の西海岸ホキティカに到着。
ホリデーキャンプを探したころには、体はとんでもなく疲れていたようで、めまい。
キャンプサイト:Beach Walk Holiday Park
急いで、テントを設置し、フィッシュ&チップでお腹を満たすと、喉の痛みがひどくなり、くしゃみもはげ苦しさを増しています。
夜になると蛍が見れるという道が近くにあったのですが、断念して早めに寝ることに。
この夜、咳とくしゃみが止まらず、近くのテントの人たちにはご迷惑をかけてしまいました。
翌朝、彼らが素敵な旅を続けられるように。と小さく願う。
朝起きて、喉の痛みは若干収まりましたが、鼻水がまるで豪雨。
鼻血のようにずっと詰め物しっぱなし。
ほとんどが車移動というこの環境に感謝し、曇り空を前進するのでした。
真実
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真実は「葛藤の解放と純粋な自己なる創造の現実化」をテーマに日々、生きている気ままな幸せ人です。 瞑想を通し、感じたこと、学んだこと日々の経験から感じたこと、学んだこと。 様々なことを様々な形で自分の変化と共に歩む真実なりの方法をご覧ください。
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